荒川市民マラソン

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3月18日(土)
完走ラーメン 朝一番の新幹線で東京へ向かいました。そうです、明日は初フルマラソンである荒川市民マラソンの開催日です。なぜ、明日のマラソンのために朝一番の新幹線に乗らなければならないと言うと、割引切符を購入するためなのである。割引額より東京滞在中の食事代の方が高いのであるが、そこがセコイところなのです。

 東京駅へ着くと、そのまま中央線に乗り換え高尾に向かいます。目的地は高尾山です。明日のこともあり、麓から登るのは控えてケーブルカー登山という軟弱路線で登りました。高尾山薬王院は真言宗智山派の大本山であるため、我輩の菩提寺と同じ宗派です。そこで早速明日のマラソンの完走祈願を行いました。そのまま高尾山に登り三角点を触ったあと今度はマラソンの前日受付に向かいます。

 新宿で埼京線の快速電車が来たのでそのまま乗車し戸田公園(快速は浮間舟渡には停車しないことは承知で乗っています。)で下車し会場に向かいます。会場は既にほとんど出来ており、受付後、完走セットを購入し完走ラーメンを食べて浮間舟渡駅に向かいました。戸田橋下で、過去2連覇を達成している平沢氏が歩いているのを見かけました。声をかけようかと思いましたが、ラベルとレベルがあまりにも違うのでやめました。その足で本日の宿のある板橋に行きその後、明日の応援のための場所を教えるため東武鉄道の堀切駅から京成電鉄の八広駅まで歩き、上野の聚楽台(田舎者の巣窟と言われているが私は好きだ!)で明日の完走祈念パーティーを開き、宿で爆睡しようかと思ったが、結局寝ることが出来ませんでした。(お子様なので遠足の前日は眠れません)

3月19日(日)
 朝5時30分に起床、天気予報を見ると曇りである。朝食はバイキング形式であり、毎回満腹になるまで食べていますが、さすがに今回はカーボローディングよろしく、白米を鱈腹とオレンジジュースで肉類は一切摂りませんでした。朝食を摂っていると雨が降ってきました。最悪である。部屋に戻り出発の準備をしていると雨も止み青空も見えてきました。8時少し前の埼京線に乗車したが、マラソンラッシュは過ぎているようでそれほど混んではいなかった。浮間舟渡の駅でも階段に近い車輌に乗っていたのでスムースに駅構内から出ることが出来ました。
 駅前から出ているシャトルバス(普段ならこんな距離は歩いてしまうが、初マラソンでは1mは血の一滴である)に乗り会場に乗り込む。土手に登った瞬間に「おー」という声が出てしまいます。ものすごい人である。荷物置き場へ行き、スタート場所まで行くと既にスタート10分前です。Kブロックであったので、スタート地点まで550mの距離があります。

私を応援する犬 号砲後スタートラインを越えたのは13分27秒後でした。その後もキロ7分近くの走りが続き、自分のペーストは大きく違う展開に戸惑いました。その後キロ6分弱のペースで進めますが、10キロ通過時点でゴール予測タイムが5時間28分と恐ろしく遅くなってしまいました。ここでフォアスリートのデータ保存の関係でしばし停止、記録をリセットして再スタートです。
 14キロ附近でしょうか、トップランナーが帰ってくるということで、コースが半分に狭められまたもや自由が利かなくなりました。トップランナーは長野電子の看板を付けた選手でした。堀切の閘門ではコースがもっと狭くなり、しばし停止です。この休息がいけなかったのでしょうか四ツ木橋附近でキロ4分台まで速度を上げてしまいました。この時点で後ろから強風が吹いていたはずですが、あまり感じませんでした。途中の給水ポイントは積極的に利用させていただき、充分給水を摂ることが出来ました。スタート直後から左の靴の中に小石が入っているようで気にはなっていたのですが、走るのには支障が無いのでそのままにしておきましたが、18キロ過ぎに靴を脱ぎ石を出していたら帽子が飛ばされてしまい土手下まで取りに行ったのがロスでした。

 荒川大橋の真下が折り返しとなりますが、越えた途端に猛烈な向かい風となります。それでもキロ6分の中盤を越えないタイムで進んでいきます。27.9キロの給水所で給水後、ペースのよい方がいたので向かい風を無視して猛然と付いていきます。それがいけなかったのでしょうか、30キロ過ぎの給水所で給水を摂るともはや走る元気がなくなりました。あとは惰性です。走ったり歩いたりの繰り返しでキロ8分から9分に落ちてしまいました。37キロの岩淵水門では強風のため飛ばされそうになりました。そこを伴走者に連れられた初老の女性ランナーが走っていきます。一度死ぬ思いをした方はこんなに強いのか?その後も向かい風は治まらず、給水所附近では紙コップの嵐が吹き荒れていました。39.6キロにあるレストステーションで軟膏を塗って一息入れたが精神上の問題で筋肉痛には効かなかったでしょう。この時点で5時間のペースから1キロ以上遅れており、夢は絶たれてしまいました。それでもゴールぐらいは軽やかに笑顔で行きたいと思い、埼京線の橋を越えたところから爆走開始で無事ゴールしました。結果は5時間オーバーの7000番台超前半でした。5時間を切れなかったことと、全成績の半分以下であったので自分としては完敗です。
 なお、先日見かけた過去2連覇の平沢氏ですが、氏のウエブサイトによると前日より風邪をこじらせ38℃以上の熱を押して走ったようです。彼のこの大会に寄せる熱い思いがわかりました。

 この大会の楽しみとして、コスプレがあったのですが、あまり見かけませんでした。記憶では牛さん、唐草模様の衣装(東京ぽん太では無い)さん、赤ふんどしの兄ちゃん(エライ)、後半私の前後を苦しんで走っていたケツだしルックの方(こういう衣装の方はもうちょっと速い方が良いと思うが)、太った方(コスプレでなく実物か)を見ることができました。ほんとうはもっといたようですが、強風のため下を向いて走っていたので見ることができなかったのでしょう。あと、各公設、私設エイドでランナーを励ましてくれた皆さんと大会の運営に携わった皆さんにはこの場で御礼申し上げます。現在のところ、来年は出る予定はありません。他の大会に出るということではなく、走り終わった後に充実感が湧きもせず、またタイムが悪かったから再挑戦という気にもなっておりません。フルマラソンは自分には向かない競技なのかもしれません。

 ガーミンフォアアスリートで記録したGPSデータです。自分のスタート地点から記録を取っていることと、10キロ附近でデータのリセットをかけていますのでデータに不自然なところがあります。物好きな方は見てください。データ
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