飯田線完乗記その2

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  水窪〜本長篠(列車の交換した駅:三河槙原)
中部天竜駅 水窪からは再び乗客が増えてきます。向市場から城西までには有名なS字橋があります。河川を横断する場合は河川占用が必要となり、占用の条件としてほぼ直角に渡ることを求められています。それを河川に沿って橋を造るわけですからよほど条件が厳しかったのでしょう。中部天竜で乗務員の交代があります。ここにあるレールパークによる鉄道オタクもいました。大嵐までは天竜川に沿って下っていましたが、ここからは川(天竜川ではない)を上っていきます。水も澄んでおり、川では鮎釣をしています。池場はホームの幅が非常に狭く目立ちます。湯谷温泉は鳳来寺の玄関口であるせいか、乗客も多くなります。
 本長篠〜豊橋(列車の交換した駅:新城、)
本長篠駅 本長篠を出て5つ目の駅に茶臼山という駅がありました。当然山だろうと思っていたらさにあらず、住宅地でした。謂れはあるのでしょうが、駅名とその場の雰囲気がミスマッチでした。豊川駅飯田を出て以来最初の市を代表する駅が新城です。乗客も一気に増え独り占めしていたボックス席にも2名座りました。新城市という名前はだいぶ前から知っていて大きい都市であろうと思っていたら、駅はそれほど大きくなく、驚いたのは構内の跨線橋に屋根が無いことでした。駅構内で屋根の無い跨線橋を見たのは初めてでした。いよいよ飯田線も終盤、豊川に到着です。名鉄線が乗り入れているせいか、乗客の入替も結構あります。ここからは複線となります。小坂井を過ぎると下り線が離れると共に名鉄線が近づいてきます。ここから豊橋までは線路を名鉄線と共有ということだそうです。乗っていた列車は下地、船町は通過なのでそのまま終点の豊橋に到着です。天竜峡を出豊橋駅に停車する名鉄特急発してから3時間余り、さすがに満腹というところです。列車の旅はここでおしまいではなく、まだまだ続きます。
  豊橋〜名古屋
 豊橋で遅い昼食と飯田線完乗記念に生大(ビール)を飲み駅のコンコースでお土産を購入し、名古屋に向かいます。ここからは東海道本線ということで、列車も頻繁に出ており安心です。駅の電光掲示板で名古屋方面の列車を確認すると列車の編成が4両とか3両という短編成であることに驚きました。こんな短編成では着席は無理ということで乗車口にも並ばず、反対側の岐阜行普通列車に乗りしばし冷房の恩恵にあずかります。大垣行の新快速が到着したので乗り込みます。当然満員で着席は不可能です。それにしてもこの列車恐ろしいほどのスピードを出します。飯田線のトコトコ列車に目が慣れてしまったせいか、通過する駅の名板も判読できません。それに高速で走っているせいか冷房の効きもよろしくナイスです。さすがに特甲線だけあって乗り心地も抜群です。最初の停車駅は蒲郡です。競艇場のイメージで薄汚れた雰囲気かと思いきや、駅が高架化されており明るい雰囲気の駅でした。続いて岡崎です。未成年の頃、一人旅で東京から普通列車を乗り継いで途中下車印を貰うため岡崎で下車しました。その当時は岡多線(現在の愛知縦貫鉄道の一部)が健在でした。新快速はこの後、安城、刈谷、大府と停車します。大府では武豊線の列車が停車中でしたが、案内幕に「自由席」と明示されているのには笑えました。武豊線に指定席はあるのでしょうか。今回は新幹線を利用していないので、中央線に乗り換える場合、金山で乗換えが必要なのですが、名古屋まで足を延ばして久しぶりに名古屋駅ホームのきしめんを食しました。以前は花かつおがドンと載った美味しい記憶があったのですが、今回は冷凍麺にくたびれたかき揚げということで幻滅してしまいました。名古屋では予定では1時間の余裕があったので、みやげ物を買い漁ろうと思ったのですが、改札口を出ないとみやげ物屋に入れないので、仕方なくキオスクで済ませました。駅の電光掲示板を見ると、中央線に遅れが出ているようです。
中津川駅 名古屋〜中津川
 当初予定では中津川での乗り継ぎがギリギリであったので、素早く直近で来た快速電車に乗り込みました。30分の遅れのようです。快速電車は結構飛ばしているようですが、時々減速をしています。遅れの影響で先行列車に追いついてしまっているのでしょうか。定光寺や古虎渓は名古屋圏にありながら結構田舎な感じがします。多治見で乗客が減ると思っていたら逆に大勢乗ってきました。もしかして、このまま松本行の列車に乗ってしまうのではないかと心配してしまいました。中津川には15時40分頃到着です。
 中津川〜塩尻
 中津川には南木曽行の普通列車が停車しています。この列車が戻ってきて松本行になるので、この列車が遅れると自動的に松本行も遅れてしまうので、その動向が気になりました。中津川でも駅そばを食べようかと思ったのですが、昼過ぎだけで既に2食食べているし、塩尻でも食べたかったので今回はパスしました。木曽福島駅駅の横にある物産館を冷やかした後、駅に入りホームて松本行が戻ってくるのを待ちます。南木曽からの列車は多少遅れた程度で戻ってきたのでしょうか。すかさず座席を確保して後は出発までひたすら待ちます。駅の案内では名古屋からの列車を待っているとのことでしたが、いつの間にか先行する事になったようです。名古屋で早く乗ったのが正解でした。松本行は2両編成で満員です。それでも落合川や坂下で下車する方が多く、その後は立っている方も見受けられませんでした。木曽路の中央線は幹線でありながら、普通列車はワンマン運転でローカル線そのものです。駅自体も幹線であるため長い編成の列車も停められるような有効長を持っているようですが、力を持て余しているようです。鳥居トンネルを抜け贄川を越えると木曽路も終わりで、塩尻に到着します。
 塩尻〜辰野
 塩尻から辰野は中央線の大八回りを利用します。塩嶺トンネルが開通するまでは、全列車がこの大八回りを使用していましたが、開通後は閑散線区となってしまい、急行アルプスが廃止されると優等列車も無くなったようです。普通列車自体も岡谷〜辰野は飯田線の列車を使用し、塩尻〜辰野間はクモユ(クモニか)を改造した1両単行の列車が原則往復しているのみです。塩尻駅今回、この改造車輌は釣り掛けモーターということで現在では珍しいものだそうですが、私は知りません。ただし、車内がモーター音でうるさくて、車内放送が聞こえないのが難点です。塩尻を出るとしばらく塩嶺線と平行して走りますが、そのうち山側へ登っていきます。途中に東塩尻という臨時駅が昔あったのでその跡でもあるかと思いましたが、暗くて確認できませんでした。車輌はロングシートで出発時には8割方の座席が埋まっていましたが、次の停車駅の小野でその8割が下車してしまい。終点の辰野には5名ほどが乗車しているだけでした。当初の予定通りの列車の旅、次回は東北方面にでも出かけたいと思いました。
 
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