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実施日:1月24(木)〜27(日) 参加者:山出・湯殿 |
行程:23日(水)〜24日(木)自宅〜羽田空港〜石垣空港〜離島桟橋〜波照間港〜名石(泊) 25日(金)名石〜ぶりぶち公園〜波照間空港〜高那崎〜ペムチ浜〜ニシ浜〜名石(泊) 26日(土)名石〜波照間港〜離島桟橋〜石垣空港〜那覇空港〜那覇(泊) 27日(日)那覇〜首里城〜国際通り〜那覇空港〜羽田空港〜自宅 |
いよいよ波照間島を去る日である。その前に昨日名石共同売店で見かけたけったいな飲み物を紹介しなければならない。とりあえず栄養食品らしい。飲んでみると餅を溶かして薄めたと言う感じである。はっきり申し上げて美味くない。わざわざこんなものを飲む必要があるのか疑問である。ただ、売店においてあるということは需要があるということなのであろう。 もう一つ紹介しなければならないのは、八重山に来たら飲まなければいけない(そんなことは無いが)マリヤ牛乳とゲンキ牛乳である。その単位が237mlなのである。237mlとは8ポンドということで、まあ米国占領下の名残なのであろうか。味はというと特に変わったところは無い。八重山でホルスタインは見たことが無いが、まさか黒島の肉牛から搾乳したものではないであろう。 以上購入したのは全て名石共同売店である。都合4回も利用してしまった(宣伝料くれ)。毎年同じようなことを言っているが、「マンネリなんかはなんのそのー」である。 |
午前9時に民宿の車で港まで送ってもらう。ちなみに、宿泊料は2名2泊で2万円である。価格で文句を言う方はいないようであるが、別のサイトでサービスが悪いなどとかかれている場合が多い民宿であった。我々にとっては、問題の無い宿であったが。 波照間港のターミナルで、波照間の黒糖を購入して波照間島最後のおみやげとした。 波照間海運の船が出港し、いよいよ安栄観光も出港である。港を出た途端、荒波の洗礼を受ける。結構激しい揺れなので、船酔いしてしまうと言う感じがしなかった。最初の20分ほどで揺れはほとんど無くなった。左手に西表島を見て、そのまま石垣に向かうと思ったら、西表島の大原港に入港である。ここで半分以上の方が下船してしまった。同じ宿に泊っていた初老の夫婦は、離島桟橋から石垣空港までの時間があまり無いということを朝食時に言っていたが、横目でちらちら見ると、盛んに時計を気にしていた。我々は、時間に余裕があるので、ハプニング大歓迎である。 |
離島桟橋から空港までは、路線バスを利用しようとバスターミナルまで歩いたが、バスが発車してしまった後なので、再び離島桟橋まで戻り、タクシーで空港に向かった。運転手は典型的な八重山のオヤジであった。 空港では、最後の八重山そばを食した。みやげ物をのぞいているとポーポー焼きなる怪しげな食べ物があったので購入した。飛行機内で食べるとまあクレープみたいなもんですな。 機上からは全く下界を見ることができず、機内で惰眠をむさぼるだけである。機内の案内で那覇は雨とのこと。残念。 |
那覇は雨である。重い荷物を持っているので、ゆいレールをやめて、バスにしようと思ったが、本数があまり無いので、タクシーに乗車した。那覇の宿泊はJALシティ那覇である。小奇麗なホテルである。また、国際通りに面しているので遊ぶには持って来いである。 那覇のおみやげはジャスコにしようとゆいレールに乗りジャスコに行ったが、買うようなみやげものは全く無かった。電車賃損したぞ。 国際通り近辺をウロウロして、泡波のミニチュアボトルがいくらしているのか見るのが楽しみであった。800円から1800円の価格差であるが、この差はいったいなんなのであろう。 夕食は相変わらずビアドームである。ローソンで割引チケットを購入するせこさである。5時30分に行ったら最初の客であった。とりあえず1時間30分粘って、二人でジョッキ6杯とチューハイ2杯を飲んで退散してきた。この旅行は結構飲みましたなー。 3日ぶりの風呂に入って寝たのであった。ホテル内は静かで良かったですよ。 |
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